下手の横好き

好きなこと書いていきます。

無力感ってなんだろう

今現在、仕事やプライベートで自分としてはけっこうヘビーな状況にいます。

毎日、気持ちが揺れる中で、基本的には「しっかりしなきゃ」と自分を強く持とうと意思の力を総動員中。

いや、これって、自分がくしゃってなってしまう原因の最たるものじゃないか・・・
とも思うし、その通りなんだけど、今は自分は後回し。
今までのいじけた気分や、すねて、本当は察してほしいから「わざと」無理をするんではなくて、実際、今ふんばらなくちゃいけないから。

自分は、こうやって誰も知らないところで気持ちを整理できるし、
気持ちをちょっとでも救う方法はいくらか持ってるし。
まだ大丈夫だ。

そして、今は自分がしっかりしないといけないからこそ、
きちんと自分のしたいこともそこに組み込んでいく。
罪悪感とか感じずにちゃんと休み、ちゃんと楽しみ、ちゃんと「できないことは断る」。今までみたいに自分の用事をさしおいてまで合わせたりはしない。本当にそうしないといけない瞬間のためにも、体力・気力温存のためにもそれはしない。

 

 

最近、カウンセリングというか面談の時間を定期的にとっている。
それは、頭でわかっていた以上に自分を落ち着かせるし、考えを整理できる。視界をクリアにできる。


その中で自分が口にした「無力感」という言葉。
自分には何もない、なにもできない、という気持ち。
これを和らげるためにも、なにか「役に立っている」という実感・手ごたえを感じられる体験が必要、ということ。

無力感ってなんだろう。
なにか特技があればいいのか?
得意だと自分が思えることがあればいいのか?
なにか目に見えて、自分が役立った実績のようなものや、そう思える瞬間があればいいのか?

わたしにとっては、それらがあってもダメな時はだめだ。
わたしにだって、むしろほかの誰にも負けない!と自信を持っているものはいくつかある。役立っていたりする実感だって感じられることもある。
でも、そうじゃない気がする。

そうじゃなくて、役に立たないわたしでも愛してほしいんじゃないか。
「愛してほしい」の表現が正しいかちょっとわからないけど。

役に立つからいていいよ、とか、これがすごいからあなたが必要、とかじゃないんじゃないかと思う。

子どもが親からもらう必要のあった絶対的な愛情。そういうものが誰にとっても必要で、それを感じられないことが「無力感」なんじゃないかと思う。

 

実際にそういった愛情を注がれていても、自分がそれを感じられなかったら、ないのと同じだ。
愛情を注いでいる側からすればやるせない話だけれど(実際、わたしはそっち側にも属しています)。
でも、わたしは「愛情が注がれているのはわかってるけど、「無力感」・自分への「無価値感」・低い「自己肯定感」を持ってしまっている」気持ちがとてもよく理解できる。

どうやったら埋まるのかわからないけど、なんか空虚な部分があるのです。

たぶん埋まることはない気がするんだけど、うつろなところを持っているんです。

 

わたしの場合は、たぶん、理不尽が重なったりするとその空虚さを思い出して、マイナス方向にいってしまいがち。
仕事さぼるのにとがめられなかったり、うまくやっている人を見たり。
自分ばっかりなんだかなぁ・・・ってことが続いてしまうと、悲しくなってしまいがち。

勧善懲悪の世の中じゃないからね。
そうだったらよかったのかな、なんて思うけど。

とにかく、今はしっかりしないといけない。
だから休むし食べるし楽しむ。
「頑張る」とはちょっと違う。粛々と必要なことをするために、頭をはっきり・しっかりとしておきたい。そんな感じ。

 

わたしもわかるよ、そのつらい気持ち。
今も正直つらい。
でも、今はあなたがいっぱいいっぱいだから、
わたしはしっかりするよ。